くりから工房~Blog (Archive & Search)

「平櫛田中」展~其の弐(雷門「天龍、金龍」像の真相)

2012-10-15
「平櫛田中」展~其の弐(雷門「天龍、金龍」像の真相) はコメントを受け付けていません

「平櫛田中」展のつづき。。。

地下には「五十鈴老母」という作品があり
作品のページにも掲載されているように
「1972年、最後の作品」とあるが
ここで1つの疑問が頭をよぎる事となった。

例の雷門の裏側に在る平櫛田中作とされる「天龍」像
浅草寺のHPによると、1978年に寄進とある。

鏡獅子」(1965年)に20年の歳月を費やしたとあるので
この天龍像も随分前に受注して、絶作となる1972年より前に
実は天龍像は出来上がっていた…という事なのだろうか?

同じフロアに平櫛先生の年表があり心当たりの時代を見たが
最も多くの人が目にしている作品であろう雷門の「天龍」が
年表にさえ一切触れられておらず、更に疑問を後押しする。

1979年に107歳で永眠された平櫛先生であるが
仮に20年前に受注して10年前に完成したとしても
その時の先生の年齢は97歳ということになる。

「90歳を跨ぐ人が、僕を一気に惹きつけたあの木彫の天龍を?」

この謎を抱いたまま帰る訳に行かず、近くにいらした学芸員の方に尋ねた。

すると平櫛先生のお孫さんである平櫛弘子館長を呼んできて下さった。

平櫛館長はとても丁寧に真相をお話して下さった。

要旨をまとめると以下の通りだ。

・「天龍、金龍」は松雷会より、寄進される10年程前に受注した。
 (松雷会とは雷門復興の為の松下幸之助氏らによる有志だそうです)

・「金龍」のみならず「天龍、金龍」共に制作したのは菅原安男氏である。
※同館に収蔵されている「難陀(なんだ)」という平櫛田中の肖像の作者

・「天龍、金龍」の書(像の横に掲げられている)が平櫛先生の筆によるもので
 「天龍、金龍」像の制作において平櫛先生は「監修」という立場であられた。

・1978年に「天龍、金龍」寄進された際の除幕式には
(平櫛館長と共に)平櫛先生も参列なさった。

※この場を借りて改めて平櫛弘子館長に御礼申し上げます。

201220

確かに「天龍、金龍」像の横に掲げられている書↑をみると
井原市立田中美術館に所蔵されている書と同じ感じである。
平櫛田中の書「天龍/金龍」1976年(昭和51年)

そうか、、、金龍だけでなく、天龍も作者は菅原安男氏であったか。

それでは次は菅原安男氏を掘り下げてみなくては・・・(笑)

少し話題が「平櫛田中」展から逸れてしまったが
当ブログの紹介作品以外にも、初公開作品などもあり
この秋、平櫛田中が生涯で成しえた思いと覚悟に
触れて圧倒されてみては如何でしょうか。。。

※横からの画像を見ると「天龍、金龍」共に龍の尻尾がカワイイ!


「平櫛田中」展~其の壱

2012-10-13
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平櫛田中生誕140年記念「平櫛田中」展
(会期:9月9日~10月21日)
平櫛田中彫刻美術館に行ってきた。

自分の想作スタイルに通じ重なる所がある
「塑像」について前々から気になっていたが
やはり先人の成した思いと覚悟に圧倒された。

先ずは個人的なメモのような感じになるが
「彩色による表現方法」を施すようになる前の
彫刻のみの「瞳の表現方法」は非常に参考になった。

何というか、途中までは解りかけていた問題が
こうする事で解決に導き出されたという感じだ。

201219

お目当ての「転生」↑は入館して直ぐの所で
出迎える、いや、待ち構えるかのように在った。

もう、この「転生」観賞だけで、どの位の時間を費やしただろうか(笑)

「生ぬるい人間は鬼も食わぬ…」

悪い事をすると鬼に食べられてしまうが
中途半端な生ぬるい人間ともなると
鬼でさえもとても食えたものではなく
その不味さに火の中に吐き出してしまう…

そんな様子が彫り込まれている作品である。

腕や胸元に装身具を纏った鬼も魅力的であるし
そのシャープな身体つきと、小さな頭部などは
一般的な鬼のイメージを見事に覆していて素敵でした。

つづく。。。


恐れ入りやの鬼子母神

2012-10-06
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大田南畝の狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」で知られる
台東区入谷にある(鬼子母神が祀られる)真源寺を
通過する機会があったので、軽く立ち寄って来ました。
(お盆休みの頃の話です)

鬼子母神の「鬼」の字は、夜叉が子育の善神になった
(つまり、鬼ではなくなったので角が無い)事から
「鬼」の字にある最初の一角が省略されているという。

こういった先人のセンスには常に頭が下がる。

鬼子母神に関しては月成【挫喰髏(ザクロ)】という作品の
ページ内に軽く触れてあるので、そちらを御覧頂くとして
境内を散策して撮影してきた画像について記しておきます。

201218

月成作【挫喰髏】のページ内で触れましたように
柘榴は鬼子母神の三昧耶形とされているだけに
境内の植木に生る数々の柘榴の実を見つけた時は
思わず「おぉ」と感嘆の声をあげてしまいました。

画像の一番上にあるのは、賽銭箱の正面に描かれている
柘榴をモチーフにした意匠で、境内あちこちに見られます。

個人的には墓地側の瓦にある柘榴の意匠(画像三番目)が
さりげなく素朴な感じの印象があって好きでした。

帰り際に柘榴の木の根元を見ていると4cm程に
干上がったドライ・ザクロの実が落ちていた。
落下した際に割れて干上がったのか?
落下して干上がった際に割れたのか?
いずれにせよ、割れ目の奥にはぎっしりと種が見え
床の間にチョコンと置いたら侘び寂び感が溢れる…
そんな「恐れ入りやの干し柘榴」(画像の一番下)

鬼子母神というよりも、柘榴の話ばかりになってしまいましたが
江戸三大鬼子母神の「法明寺鬼子母神堂」と「正中山 法華経寺」を
探訪してきた時にでも改めて触れてみたいと思います。


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